すずみぶろぐ

同人サークルすずみソフト(http://suzumi.jounin.jp)の開発日記です。

他人の評価と作りたいもの

ここ一週間ほど、悩んでいました。きっかけはおそらく、現在制作中のゲームのUIがうまく進まず辛くなってきたところからだったと思うのですが、そこから悩みが広がって、「自分はいったい何をしたかったんだろう」と、色々なことを見失いそうになりました。今日はそんなお話です。個人的な話ではありますが、自分の心の整理のために、書いちゃおうと思います。

端的に言えば、「他人にとって価値あるもの」を意識しすぎるあまり、「作りたいもの」がわからなくなった、呑まれてしまった、ということなのだろうと思います。

前々作(メタフィジカ)である程度書きたいことの書けた感じがあったため、前作(プライマリ)は「試みにエロでも書いてみるかー」と軽く始めた記憶があります。そこにはきっと、エロなら多少は売上向上するのではないか、という目論見もありました(今では浅はかだったと思う)。自分の可能性を広げる意味でも一度やってみればいいと思ったわけでありましたが、一回では飽き足らなかったのか、今回の企画でもそういった「他人にとって」成分が多量に練り込められました。その結果、「あれっ、自分は何を作りたかったんだっけ……」というような心境に陥った。というわけです。

どういうものを表現したいのか、ということは、僕にとってはとても大切なことであります(大抵の場合、雰囲気とか色合いとか風景とか、漠然としたもの。でもそこに共通の「書きたいもの」はあるような気がする)。自分は表現の手段にあまりこだわりがなくて、つまり小説でもいいしゲームでもいいし、動画みたいなものもいいなぁとか思う。自分は今からでもイラストか音楽に転向すべきなんじゃないか? ということは、企画ごとに百回ぐらいは考える。小説を書く小説家とか、ゲームを作るゲームクリエイターとかになってしまったら、なにか良くないのではないかと思う。つまり、表現したいものありきだ! と思っていたはずなのに、気がついたら違うふうになっていた。というのがなにか悲しくて。そういうところにモヤモヤしていたんだろうなぁと思います。

ビジネスビジネスで創作をやろうとすると、自分のソウルジェム的なものがジワジワ濁っていくような気がします。自分には難しいのかもしれないと思った。でも、それができる人もいるような気がしてなりません。例えばミステリィ森博嗣とか、とてもビジネスライクな印象ですが、そういうふうに小説を書けるのだなぁと、当時は新鮮に思ったものです(加えて一時期、読んでハマってしまったから。それ以来、作家のパッション的なものと作品の面白さにはあまり関係がないのではないかという思いがずっとこびりついています。それでもなにか切実さとか気迫とか、そういったものは伝わるのではないかと信じたい気持ちもやはりあるのですが……)。まぁ、他人の心境を推し量ってみたところで何がわかるでもありませんし、他人の仕事については自分から見て良いか悪いか、それだけかなと思います。問題は、僕自身がどういう心持ちで作るのか、ということ。かなり以前から考えてはいるけれど、まだ納得できていない問題です。

ところで、Twitterを眺めていましたら、「描きたいものが見つかっているのに描かない」人々がいる、といった内容のツイートが流れてきました(引用しようと思ったら消えてしまった)。

なぜ「描きたいものが見つかっているのに描かない」のだろうと自分に問うと、自分の場合は、自分の作るものに対して異様に神経質になってしまい、すこぶる時間がかかってしまうというのが一つあります。書くのがものすご遅くなる。努力の方向を間違えているのではないかとしばしば感じます。思い返せば『ミチカ』の頃からずっとそうで、『ミチカ』のシステムがああいうふうになったのも、文章量では勝負できないと自分でわかっていたからでした。これから先、トレーニングなどして速くなったりするものなのか、自分にはわかりません。そもそも、長ったらしく文章を書くことにとても抵抗がありまして、必要最低限の言葉で作りたいと思っています(だって、貴重な時間を割いて読んでいただくのだから、不要な言葉は削るべきではないか? 自分にとってはそれが理想なのだと思う)。それに、言葉の限界もここ一年でだいぶはっきりとしました。のびのびとした創作のためには、余計なこだわりなのかもしれません。ともあれそれでも、テキスト量が必要なときはありますし、量を書かなくてはうまくならないというのも一理ある。『SHIROBAKO』の絵麻がそういうことで苦しんでいたのを思い出してアァーと思います(いい回だった!!)。

「いいもの作れば売れる」というのは体育会的だとも思います。「レベル上げて物理で殴れ」みたいな。コンシューマでもクオリティばかり高まって面白さを置き去りにしたようなゲームを見かけるような気がするし、そういうのは良くないと思います。でも、自分の表現したいものはかなり雰囲気の方向で、どうしてもそういう努力にならざるをえないのかなぁという気がしてしまって、悩ましく思います。

……と、思いつくままに書き出してみました。

とりあえず、そういうことをグルグル考え続けた末、自分の表現したいことは大切にしなくてはならない、「他人にとって」も気になるので色々工夫はするけれど、作品の核にはブレないものを置いたほうがうまくいくのではないか、ということを思ったのでした。他人に評価されることを作品の中心に据えてしまうと、精神にクるよね、ということを確認した一週間でありました。

石油王のパトロン欲しいな! とか思う。売るとか考えるから辛くなるのかなぁとか思う。趣味としてやるにしても、ある程度制作資金は必要だしなぁと思う。

……まぁ、悩みは尽きない。難しいね。もっとこじれたところのない、素直な制作をできたらいいなと強く思う。